[ 勾玉雑学 ] 勾玉が割れた時の意味 ■その2■

[ 勾玉雑学 ] 勾玉が割れた時の意味 ■その2■

勾玉やパワーストーンが割れると良くない事が起こる前兆なのか?

インターネット上では意外と多くの方々がこの事をお調べになられています。 それゆえ以前にも同じ題目「勾玉が割れた時の意味とその儚い最期」の記事を掲載いたしましたが、昨年の11月に起こった私の実体験からそれを裏付ける事例を紹介いたします。


「お母さんが大変な事になった」

母と同居する弟からの第一報では状況など詳しい事はわかりませんでしたが、心肺停止状態で救急隊員の方が蘇生処置を行っている最中だと…

その実家までは車でスムーズに行ければ10分程、とにかく借りられる力は全て借りようと、自分が持っているありったけのパワーストーンのブレスや勾玉のチョーカーを掴んで自宅を飛び出ました。 こんなにエレベーターが遅く感じられた事はありませんでした。 待っている間にひっつかんできたブレスを何本も重ね付し、チョーカーをつけようとしていたのですが

「つかない!? なんで?」
チョーカーのカニ管になっている部分が壊れていたのです… 昨日までなんともなかった筈なのに… その瞬間、嫌な予感がしました。

仕方がなかったので無造作にジーンズのポケットに突っ込み、走って車に飛び乗り実家に向かいました。 道中にはまるで嫌がらせかと思うような事もありましたが、ここでは本題から外れますので割愛をいたします。
実家は救急隊員の方の懸命な処置で戦場のような状態になっていました。 そこから病院へ移動する事になり、自分と弟は車で救急車の後を必死で追い一緒に病院入りしました。

しかし…その約40分後、母は帰らぬ人となりました…


勾玉が割れたり、なくなったりした時、それは不吉な前兆ではなく身代わりになってくれたり、願いが成就されたり、目標が達成された時勾玉は役目を終えて儚く散るのです

これは前回同じ題目での記事でお伝えした事ですが、私達のお客様や石の販売仲間、我々企業グループでのエピソードを集約した結果であり、そこから見えた結論とも言えると考えています。

事実、今回のように自分の親が急逝するような最悪の事態であっても、勾玉は割れずに他の物が壊れています。 自分が持っているブレスやチョーカーはただの一度もゴムが切れてバラバラになったり、紐が切れて勾玉をなくしたりした事はなく、ずっと一緒で愛着のある石達ですが。

「いっそ壊れてなくなってくれた方が良かったのかも…」
身代わりになってくれれば母親は助かったかもしれない… 勾玉が儚く散る時の意味をよく知っている自分にはそう思えました。

でも自分が持っている勾玉は恐らく自身が役割を知っていて、今はその時ではないとわかっていたのだと思います。 この石達が役目を終える時、自分はどこで何をしているのか…想像もつきません。 でも勾玉はその時まで静かに力を貸し続けてくれると信じます。


いかがでしたか? 重複しますが勾玉が割れたりなくなったりしても恐れないで下さい。 そして役目を終えた時には感謝の念と敬意をもって弔ってあげて下さい。

具体的には

和紙などの紙に包んで土に埋めるのが一番だと私達は考えます

気の遠くなるような長い長い年月をかけてできる石達を生まれた地球に戻してあげましょう。 ポイントは紙に包んで埋めることです。 勾玉は今の所は縄文時代に作られたと考古学的に考えられており、紙に包んだ形で見つかれば現代の物であると容易にわかり発掘調査などの大騒ぎになって迷惑をかけずに済むからです。(縄文時代に紙はありませんでした)


最後に

懸命に蘇生処置をしていただいた救急隊員の方々、救急病院で対応いただいた医師と看護師の方々に対し敬意を表します。

そして晩年になってから治療法のない難病と闘いながらも母親であり続けてくれたお母さん…十分なことができなくて、いつも厳しいことばかり言ってごめんなさい…
お母さんが生きた証に、この記事を捧げます

亡くなる約半年前 親子3人最後のドライブ
快晴の伊勢市二見浦にて

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